4月2日は何の日?

ものすごく久しぶりに記事を書きます。
Twitterでフォローさせていただいている、なないおさん(id:nanaio)の呼びかけに触発されました。

今日は何の日? → 世界自閉症啓発デー なのです。

昨日中2になった息子しょぱんは、自閉症スペクトラム障害をもつ一人です。

自閉症」というと、表情がなく、人と関わらない、どちらかというとおとなしいイメージがありませんか?
ところが、しょぱんは真逆です。
人が大好きで、例えば知っている人が立ち話をしていると、割り込むように寄っていきます。
よく笑い、よく泣き、表情もとても豊かで、天真爛漫という言葉がいまだにピッタリです。
空気を読めないようで、実は人一倍いろいろな気配を敏感に察知します。
手先や運動が不器用ですが外遊びは大好きです。
シャツを出したりしていて年下の子にもバカにされるような言動をすることが多々ありますが、勉強は好きで新聞を読むなど知的関心は高くそこそこの成績をとります。

私は、しょぱんと関わる中で、自閉症スペクトラム含む。以下同じ)といってもいろいろなタイプがあること、そして関わる周囲の人にもいろいろなタイプがいること、つまり人間は本当に多様なんだということを日々学んでいます。
そして、自分の視野がいかにせまかったかも思い知らされています。

このブログを書くにあたって、私があえて知ってほしいこと、お願いしたいことは何かなぁと考えてみました。

  • 激しい拒否には何かしら意味があることを知ってほしい。

自閉症の人には、感覚に過敏さがある人が少なくないようです。
しょぱんは特に聴覚過敏が強く、激しく拒否や抵抗は大抵何か「音」に関する問題が潜んでいます。これを強制したり、無理強いすると心が傷つきます。
「慣れさせる」という考えの人もいます。私も正直そう思ったこともありますが、いっこうに慣れるものではありません。強要したり、怒鳴りつけてもいいことはありません。その場から離れれるとケロッと普通になることがあります。

どこかで、大きな声を出して拒否しているような様子を見かけたときには、「何か嫌なことがあるんだな」と思ってくださる方が増えるといいなと思っています。

親としては、他人の目のあるところで激しく抵抗されると正直いたたまれない気持ちになりますが、一時的にその場を脱するなどして気分を変えるように努力しています。

  • 誰が見てもわかりやすい指示(構造化)を。「総合病院」がお手本!

自閉症は、見通しを持つことや予測することが難しい障害です。また、人がやることを見て察して動くことも困難です。誰が見てもわかりやすい指示、例示があると、比較的安心して行動することができます。
前に成人当事者の方のお話をうかがい、「総合病院」のわかりやすい案内表示がお手本とうかがいました。確かにその通りと思いました。病院は高齢者、移動が困難な方などがいらっしゃるところなので、効率的に動けるようにわかりやすく表示が工夫されています。最近は、駅などもかなり視覚的にわかりやすい表示が増えました。これを「構造化」といいます。

「構造化」してあって、健常者(障害のない人)が困ることはありません。逆に構造化によって救われる人はたくさんいます。常々思いますが、認知症へ対応と自閉症の対応は非常に似ています。そういう視点で環境を整えていけば、自然に多くの人が暮らしやすい環境になると思います。

  • 将来に向けて

例えば漫画家の蛭子さんなんかは、いつ見てもたぶんしょぱんと同じ特性をもっていらっしゃるんじゃないかなぁと思いますが、立派に社会生活を送れています。ノーベル賞受賞者の益川先生や、最近本で読んだ「舟を編む」の馬締さんも、そんな風に感じた一人です。過去一緒に仕事をした方にも数名心当たりがいます。もしかしたら、自分も。みなさんも、周囲にそう言えば、、、と心当たりのある方は多いのではないでしょうか。
自閉症スペクトラムの「スペクトラム」は「連続体」の意味で、障害のある・なしは境界があるわけではなく、自閉症の特性のある人の中で社会生活が難しいと分類される人が「障害」とみなされています。
つまり、社会生活が送れれば障害でなくなるとも言えます。
例えば、私もメガネがなければ視覚障害者ですが、メガネのおかげで障害者ではありません。
自閉症には「メガネ」のような装具でのかわりに、先に挙げた構造化やちょっとした周囲の理解が支援になり、障害ではなくなる可能性があるのです。

今の社会は、どちらかというと自閉症に対しての許容範囲が狭く、「障害のある人」とみなされる人が増える傾向にあると感じます。多くの自閉症スペクトラムの人が周囲の理解や支援によって「ちょっと変わってるけど、いいところもあるよね」として許容されるような社会になって欲しいと思います。